高知市を見渡すことができる五台山にある牧野植物園へ行ってきました。

牧野植物園の中にある博物館には、牧野富太郎のことがわかる展示物がいろいろあります。

「独学の姿勢」というパネル

牧野富太郎は、小学校を中退しましたが、学識の深さを認められて15歳で、 小学校の臨時教員となる。17歳で教員をやめて、一度高知市内に 出て師事するが、そのころ流行ったコレラのために、佐川に戻り、その後は 好奇心と興味にしたがって独学を貫いた…と、あります。

小学校を中退して小学校の先生になるとは、いくら優秀でも今なら考えられませんが、夏目漱石の「坊ちゃん」を読んでいても、昔は学校の先生には紹介等で、なることができたのですね。

その後は、東京に遊学しては新しい知識を佐川に持ち帰るという生活を続け、自分よりも植物に詳しい人物がいると、真摯に学び大阪から植物の本を取り寄せて自分の採集した植物と照らし合わせて、ひとつひとつ名前を覚えていった。さらにその後には西洋の植物学と出会い植物学書をむさぼるように写本していた。このころに富太郎は「赭鞭一撻」(しゃべんいったつ)という勉強心得の本をつくり、その考えは生涯にわたり研究をつらぬいた思想である。と、書かれていました。

「赭鞭一撻」(しゃべんいったつ)とはどんな考え方なんだろう?と調べてみました。

牧野富太郎の文章は青空文庫で読むことができるのですが、「赭鞭一撻」は漢文の書き下し文で書かれており、現代文に訳されているものもありますが、なかなかさらっと読めるものでもありませんでした。

しかし読んでみると、なかなか良い内容で一部抜粋ではなく、全文を紹介したいと思います。

次回に続きます。